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世界の旅とその道程

 23歳の日本一周した後、「360度の地平線を走りたい」と思いオーストラリアの旅を計画。準備を進めていたある日、頭脳明晰でも、飛び抜けた才能もない、小さく弱い自分が町をノロノロ走る原付バイクに見えたことから、オーストラリアを原付バイクで走ることに決めた。それは小心者の自分にも無限の可能性があると信じたいという思いに他ならなかった。

 周囲から「無謀だ」「意味がない」など反対を受けたが、意志は変わらなかった。現地では英語が話せず苦労をしたが、地元の人に助けられながら、5か月かけて完走。夢を実現させた。このオーストラリア一周&縦断の経験は勇気と自信、未来の可能性を与えてくれた。さらに思いは原付バイク世界5大陸へと広がっていった。

 つぎに目指したのはサハラ砂漠縦断を含む原付バイク世界一周だった。地球最大の砂漠縦断に最も小さな原付、ホンダゴリラで挑む、前人未到の挑戦だった。実際はサハラ砂漠の暑さで熱中症に、熱帯カメルーンではマラリアが発症して入院。悪戦苦闘しながらアフリカ大陸を縦断した。続くヨーロッパは婚約中の浩子が加わり原付バイク2台で旅をした。翌年、北米大陸へ渡った後体調を崩し、中南米を残しての帰国となったが、この旅の経験はその後の人生の大きな礎となった。

 次なる舞台はアジア。前例のない旅をしたかった僕は、主婦や学生も乗っている原付スクーターでアジア横断の旅をすることにした。ギリシャからネパールまで約1万キロの旅。さすがにスクーターには過酷だったようで、終盤はエンジンが思うように動かず苦労したが、どうにかカトマンズにたどり着くことができた。この旅は雑誌週刊プレイボーイ誌などを通して伝えられた。

 5大陸最後となった南米大陸は北南アメリカ大陸縦断で実現することにした。妻と2台の原付バイク、ホンダスーパーカブで北極圏から南米南端ウシュアイアまで1年8か月に渡る旅となった。この旅では、北極圏、砂漠、熱帯、高地など地球の様々な自然を体験した。1999年3月、原付バイクによる世界5大陸制覇を果たすとデザイナーの職を辞め、旅を職業とする旅行家になった。

 21世紀の挑戦は日本人初の電動バイク世界一周だった。準備段階でバッテリーの状況などから単独は不可能と考え、妻がスクーターで同行することになった。走行速度30キロ、一日の移動距離100㎞と原付バイク以上に歩みの遅い旅となった。ホテル、キャンプ場、民家などあらゆる場所で充電を続けながら前進。電動バイクを初めて見たという人にもたくさん出会った。2004年から足掛け5年アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、アフリカ、アジアをめぐり、日本の自宅にゴール。この旅の様子は主に日刊スポーツの紙面で伝えられた。

 たとえ小さくても、たとえ速度は遅くても、小さな距離を積み重ねて行けば、大きな夢も叶えられる。それが藤原の旅のメインテーマ。また冒険家ではなく、誰にでもできるけれども、誰もやらないことをするのが旅行家だという。どんな人間でも無限の可能性を持っている、大切なのは一歩を踏み出す勇気なのだと語った。

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