1円の意味

 なぜ1アクセス1円なのか? それはもちろんこの金額が一番旅が面白くなる(苦しく?)と考えたからだが、実はそれだけではない。現代の1円の価値を再確認する意味もあるのだ。
 今、道に1円が落ちていたらどれくらいの人が拾うだろう。恐らく99%の人は見向きもしないと思う。今の時代、1円で買えるものなど何もない。だが例え見捨てられた1円でも、120枚集まれば缶ジュースが買える、500枚集まれば弁当が買える。もしかして100万枚集めれば、とんてもない夢を買えるかもしれない。たかが1円されど1円。1円を笑うものは1円に泣くなのである。1円もひとつひとつ積み重ねて行けば、きっと大きな力になると思うのである。
 この旅も同じではないか。僕ひとりの力は小さいかもしれない、ひとりひとりの力は僅かかもしれない、だけれどみんながひとつなれば巨大なパワーになることを、夢が実現できる事を、この旅で実感して欲しいのだ。1円がいつか大きな夢に変わるように、自分の夢に向かって一歩一歩前進するように。この旅を通して何かを感じてくれたら嬉しい。そして簡単に自分の夢や目標を諦めないで欲しい。この旅のようにユックリと確実に(カウンターが壊れて0になったけど、ハハハ)1円ずつ積み重ねて行けばいいじゃないか。例え夢が叶わなくても、大切なのは結果ではなく、夢を持ち続けその夢に向かって進み続けることなのだから。


好奇心

 旅に出る一番の原動力は好奇心にある。この道の先にはどんな風景が広がっているのだろう…、この山の向こう側は…、この川の流れる果ては…そんな素朴で単純な好奇心が僕が旅を続ける原点にあるような気がする。子供の頃は隣町へ行くのが冒険だった。裏山の頂上に登るのが冒険だった。夜の学校に忍び込むのはかなり大冒険だった。誰もが小さなことでドキドキワクワクしていた子供の頃があったはず。
  それなのに、大人になると何でも知った気になって、何もかも諦めて、子供の頃の無垢な心が無くなってしまうのはなぜだろう。ドキドキしなくなるのはなぜだろう。夢のない社会に失望して、人間に裏切られて、目標を失って……。理由はいろいろあるかもしれない、だけどもう一度考えてみよう、実は自分が勝手に限界を決めているだけではないか。勝手に周りのせいにして逃げているだけではないか。それが大人だと勘違いしているだけではないか。
 無心で裏山を駆け登った頃、水平線の向こうに思いを馳せた頃、無限の夢を感じていた頃を思い出してみよう。好奇心を取り戻したらきっと旅に出たくなるはず。
 もしかしたら好奇心が無くなったら人間は半分終わりなのかもしれない。凄くつまらない毎日になるような気がする。
 好奇心が無くならない限り僕は旅を続けるだろう、それが自分が生きている証なのだから…。だから僕は死ぬまで旅人であり続けたいと思うのである。